でこらいふろぐ

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喜びから悲しみに落ちることに対する精神のゆらぎが激しい

ケーキを持ってすごく楽しそうな子を見ると、それだけでケーキを落として潰れてしまって泣いている想像をしてしまってとても悲しくなる。 遊園地での迷子で泣いている子をみると、さっきまですごく楽しそうだったのだろうけどいきなり迷子でとてつもなく悲しい状態になってしまったのだろうなと考えてとても悲しくなる。

みんなもそんな感じだったりするのだろうか。 中学高校頃からこんな感じだった記憶があるんだけど、なにによってこうなったんだろうなって思う。

これ書いて思い出したのが、以下の話である。上記とは関係ないかもしれないし関係あるかもしれない。

もう15年程前の話になるが、高校最後の文化祭が終わり、後夜祭のクライマックス、トーチトワリングが行われていた。 トーチトワリングってのは、暗闇の中で火のついた棒をぐるぐる回すやつです。以下参照(愛知だけなのか…

matome.naver.jp

私はトーチトワリングを行う側ではなく、トーチトワリングを見る側だった。トーチトワリングは文化祭の花形の一つということで、参加者はめっちゃ練習したんだろうなと思いつつ感動してみていると、一人だけ火が消えている子がいて、その子を見て `これまでとても練習しただろうに最後にこうなってしまって悲しいだろうな…と思って泣いてしまった。

2020/09/23追記

私と妻と子供の3人でディズニーリゾートに宿泊し、色々あって妻と子供は今日1日、ディズニーシーで遊ぶ、私は朝に家に帰る、という布陣を組んだのだけど、朝、子供と妻が私のお見送りしてくれて、ダッフィーの服来て大喜びの子供が私と一緒に楽しそうにしていて、だけど私とお別れの時は下を向いちゃって、そのままお別れしてどうなったのかわからないんだけど、そのことを思い出すと泣いちゃう…今もこの文章を打ちながら泣いてしまった…

ただ、妻と子供と2人ででかけてもらうことはこれまでも何度かあって、それと何が違うのだろう、というのはある。そこで大きな違いとして出てくるのは、やはり、喜びから悲しみへの遷移、更に具体的に言うと子供が"パパとこれから遊べる" と大喜びしていたところでの、パパとの別れ、というところである。